16世紀後半~17世紀初め頃の美濃窯では、茶の湯の流行の影響を受け、志野や織部といった桃山陶が生産され、京都や大阪など主に関西方面に出荷されました。しかし、茶の湯の流行が過ぎ去ると、美濃窯はしだいに茶道具から日用品へと生産品種を転換していき、江戸幕府が開かれ都市として発展していた江戸へと出荷先を移していきました。
江戸時代の美濃窯では、皿類や碗類などの飲食器にとどまらず、調理具、徳利、仏具、灯火具、化粧用具など、日々の暮らしで用いられる様々な生活用品を生産しました。江戸時代中期には人口100万人を超えたともいわれる江戸の街は、独自の食文化、生活様式を発展させていきました。たとえば、寿司や蕎麦などの屋台の発達、当時の農村ではなかった日常的な飲酒習慣、小鳥や金魚といった小動物の飼育や盆栽など余暇を楽しむ習慣などがあげられます。18~19世紀には美濃窯各地で徳利が量産され江戸へと出荷されていますし、小鳥の餌入れである「餌猪口」や植木鉢などが窯跡から出土しているように、美濃窯では江戸での流行と需要に合わせ、多様な製品を生産しました。
本展では、江戸時代の美濃窯の生産品を江戸の風俗が描かれた絵画とともに展示し、江戸の暮らしの様々な場面において美濃焼が使われていた様子をご紹介していきます。