開催期間を2020年9月13日(日)まで延長します。
― 土岐家文書、五百年ぶりの帰郷 ―
鎌倉時代、美濃国土岐郡に土着した土岐氏は「桔梗一揆」と呼ばれた強力な武士団を形成し、室町時代には「御一家(足利家)の次、諸家の頭」、「土岐絶えば足利絶ゆべし」と称されるまでに繁栄を極めます。土岐一族の一派に土岐明智氏があり、その末裔が明治維新まで群馬県沼田藩を治めた土岐家です。沼田藩土岐家には室町時代からの流転の末に守られた貴重な古文書群「土岐家文書」が伝えられています。
土岐明智氏は、南北朝時代に彦九郎頼重が祖父土岐頼貞から土岐郡妻木郷(現土岐市妻木町)などを相続し、初代を名乗ったことに始まります。土岐明智氏は妻木郷を拠点に活躍し、いっときは室町幕府の中で土岐本家と並び立つ存在になります。足利尊氏や弟直義から出された文書など、「土岐家文書」からは土岐明智氏の繁栄、そして、やがて訪れる衰亡の様子をうかがうことができます。このたびの特別展では、この「土岐家文書」が500年ぶりに土岐市へと里帰りし、故郷において初公開されます。
戦国時代、妻木郷の領主は土岐明智氏から妻木氏へと移り変わります。2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公明智光秀は、土岐明智氏あるいは妻木氏の出身といわれ、妻や伯父が妻木氏、さらには「妻木」と名乗った妹が信長の側室だったとされるなど、光秀と妻木氏はとくに深い関係があったことがうかがえます。
本展では、土岐明智氏と妻木氏の菩提寺・崇禅寺に残る位牌、近年の発掘調査で明らかになった土岐明智氏の居館とみられる遺跡の出土品といった初公開資料を含め、古文書や妻木に残る文化財などから明智光秀のルーツともいえる土岐明智氏と妻木氏の歴史をたどります。
左:足利直義奥上署判下文(土岐家文書) 暦応2(1339)年(群馬県立歴史博物館寄託)
右:妻木家頼所用具足(妻木八幡神社所蔵)
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8月29日(土)に開催を予定していた講演会は、新型コロナウイルス感染者急増にともない岐阜県が独自に発表した「第2波非常事態宣言」を受け、現状と今後の展開を考慮した結果、やむを得ず中止することとなりましたのでお知らせいたします。