安土桃山時代から江戸時代初頭の茶の湯の流行を受け、美濃窯で、黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部といった茶陶、いわゆる「美濃桃山陶」が誕生しました。美濃桃山陶生産の中心地となったのは、美濃窯の中でも久尻(土岐市)や大平・大萱(可児市)といった土岐川以北の地域であり、その生産窯の一つが久尻地区にあった国指定史跡「元屋敷陶器窯跡」です。
元屋敷陶器窯跡は、天正年間に織田信長の産業振興策により、瀬戸から移動した陶工が開窯したと伝えられ、天正10年(1582)の「本能寺の変」の後、東濃地方を平定した森氏の配下に入った妻木氏の領地になります。妻木氏は窯業を積極的に支援し、元屋敷陶器窯跡では美濃桃山陶生産が盛んに行われました。江戸時代初頭、唐津より技術導入して美濃最古の連房式登窯「元屋敷窯」が築かれますが、その背景にも唐津藩と姻戚関係を持った妻木氏の支援があったといわれています。
本展では、領主妻木氏の産業振興の下に行われた美濃桃山陶生産を紹介すると同時に、大河ドラマで注目が集まっている明智光秀と妻木氏との関係もご紹介します。
写真左上から、
志野茶碗、黒織部茶碗(元屋敷窯)、志野織部向付(元屋敷窯)、志野麒麟図皿(元屋敷東3号窯)、鳴海織部茶碗(元屋敷窯)、鳴海織部向付(元屋敷窯)、青織部向付(元屋敷窯)、青織部香炉(元屋敷窯)、青織部天目台(元屋敷窯)、鉄釉茶入(元屋敷窯) ※志野茶碗以外はすべて重要文化財
この他、「織田信長朱印状」(多治見市教育委員会蔵、多治見市指定文化財)、「森長可柿野郷外妻木伝兵衛領地充行判物」、「瀬戸大窯焼物並唐津窯取立之来由書」(土岐市指定文化財)などを写真パネルで展示します。