緊急事態宣言発令に伴い9月30日(木)まで臨時休館のため、本展は、10月1日(金)から開幕となります。
【バーチャルミュージアム】VRツアーを公開しました。
学芸員による展示解説
日 時 | ①10月2日(土)午後2時~
②11月3日(水・祝)午後2時~
③1月30日(日)午後2時~ |
参加費 | 無料 ※要入館料 |
定員 | 先着30名 ※事前申込不要 |
世界的な陶磁研究者として知られる小山冨士夫(1900~1975)は、若い頃に陶工を志した後、研究者へと転じ、現在の陶磁研究の基礎を築いた人物です。小山は1960年(昭和35)の「永仁の壺事件」以後に作陶を再開、1973年(昭和48)に陶芸家塚本快示を介して交流のあった二宮安徳市長の招きにより土岐市へ移住し、「花の木窯」を開きます。小山は種子島の土による作品を独特の薪窯で焼成するなど、短期間ながら精力的な創作活動を行い、1975年(昭和50)に土岐市において75歳の生涯を終えます。晩年を土岐市で過ごした小山ですが、美濃との関わりは長く、とくに親しかった陶芸家荒川豊蔵との交流により昭和初期からたびたび美濃を訪れてきました。本展では第1部で小山と美濃との関わりをたどりながら、小山の陶芸家としての一面をご紹介します。
さらに第2部では、1947年(昭和22)に設立された日本陶磁振興会に小山や荒川らとともに加わり、陶磁器製品の質の向上に尽力した陶磁器デザイナー日根野作三の活動を軸に、戦後の美濃窯業界の様子をご紹介します。日根野は京都・信楽・四日市・美濃でのデザイン指導を通して、機械化の波を受け入れつつも手仕事の重要性を説き、クラフトデザインの精神を各地に伝え広めました。美濃では、製陶業を営む安藤知山という同志を得たことで活動の広がりをみせ、1958年(昭和33)に新設された土岐市陶磁器試験場の顧問を務めるなど、小山とは異なるかたちで美濃に深く関わりこの地の窯業に大きな影響を与えました。
本展では、小山や日根野と美濃との関わりを通し、美濃焼が地場産業として地域の希望となり、さらに、その歴史や芸術性について多方面から注目が集まった時代の様子をご紹介します。
チラシ
出品リスト