安土桃山時代から江戸時代初頭、京や大坂を中心に「茶の湯」が流行し、それに呼応して、全国の窯場で新しいスタイルの茶陶「桃山陶」が誕生します。美濃窯では、黄瀬戸や志野、織部といった色彩豊かな茶陶が生産されました。美濃窯1300年の長い歴史を最も華やかに彩った時代といえます。
「茶の湯」の歴史をふり返ってみると、その始まりは鎌倉時代までさかのぼります。宋へ留学した僧侶らによって禅宗とともに「抹茶」が日本へもたらされ、禅宗のひろがりに伴い寺院から武家や公家へとひろまっていきました。大名などの間では茶寄合が盛んとなり、その席で天目茶碗や青磁など唐物の茶道具が好まれました。室町時代中頃になると、和物の茶道具へも関心が向けられるようになり、やがて「茶の湯」は千利休によって大成され、古田織部が天下一の茶人として活躍する頃には、大名や富裕な町人層に至るまで流行します。
喫茶がひろがりを見せる中、需要を満たすため、瀬戸窯や美濃窯では唐物の代用品としての茶道具が作られるようになります。美濃窯では、室町時代から天目茶碗や茶入などが生産され始めますが、安土桃山時代になると模倣から脱却し、独自の茶陶「美濃桃山陶」が誕生します。
本展では、「茶の湯」の歴史を紐解きながら、美濃桃山陶誕生に至るまでの茶陶生産の道のりをたどります。