企画展「発掘調査報告展~土岐を掘る~」
はじめに
土岐市内には、現在301ヵ所の埋蔵文化財包蔵地、いわゆる遺跡があります。遺跡は、ご先祖さまの残したかけがえのない遺産なのですが、現代に生きる私たちが生活していくために必要な開発行為によって失われてしまうことがあります。このようにやむを得ず失われてしまう遺跡を可能な限り記録に残し、未来へと引き継いでいくために必要となるのが発掘調査です。本展では、土岐市内で近年に行われた多くの発掘調査の中から9ヵ所の遺跡を厳選して紹介いたします。
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はじめに
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美濃焼歴史年表
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展示遺跡位置図
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広口瓶
妻木平遺跡出土
平安時代(12世紀)
美濃須衛窯産 -
小解説:広口瓶
妻木平遺跡
当遺跡は土岐市南部の妻木町に位置する市内でも有数の広さを誇る遺跡です。平成22年度(2010年)から土岐市教育委員会が主体となり、妻木南部土地区画整理事業に伴う発掘調査を行い、これまでに約27,000㎡の調査を実施しました。その結果、縄文時代から近現代までの長期間にわたって、主に居住地や農地として利用されてきたことが明らかになりました。土岐市内では、これ程長期にわたる期間の遺構や遺物が確認された遺跡は他にありません。周辺には妻木城跡や妻木城士屋敷跡、いくつもの古窯跡群など、数多くの遺跡が点在し、八幡神社や崇禅寺など古くからの寺社も残るため、妻木町はもちろん、土岐市の歴史を知る上でも非常に重要な遺跡といえます。
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妻木平遺跡について
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妻木町内の主要遺跡位置図
妻木平遺跡:古墳時代
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古墳の横穴式石室
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古墳時代の焼失住居跡
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土師器:高坏
古墳時代
4世紀前半
焼失住居から出土 -
小解説 焼かれた住居の意味
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須恵器:平瓶
古墳時代
7世紀 -
須恵器:平瓶(底面)
底に刻まれたヘラ記号 -
小解説 須恵器:平瓶
妻木平遺跡:奈良~平安時代
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奈良~平安時代の掘立柱建物群
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須恵器:鉢
奈良時代
8世紀前半 -
小解説 須恵器:鉢
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領主および役人が使用した特殊遺物
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小解説 須恵器:風字硯
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須恵器:鉢
奈良時代
8世紀前半
美濃国の刻印付き -
灰釉陶器:段皿(転用硯、内面)
平安時代
11世紀
硯に転用された段皿 -
灰釉陶器:段皿(転用硯、側面)
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小解説 領主や役人が使用した特殊遺物
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領主の権威や権力を示す遺物
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青磁:碗(内面)
平安時代
12世紀中頃~後半 -
青磁:碗(側面)
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小解説 領主の権威や権力を示す遺物
妻木平遺跡:鎌倉~室町時代
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鎌倉時代の領主の館跡
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中世の日常食器:山茶碗
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山茶碗:碗
鎌倉時代
13世紀前半 -
山茶碗:小皿
鎌倉時代
12世紀末~13世紀前半 -
小解説 中世の日常食器:山茶碗
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室町時代の明智氏居館跡
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古瀬戸系施釉陶器
室町時代
15世紀 -
古瀬戸系施釉陶器:花瓶
室町時代
15世紀 -
小解説 茶の湯文化の広がり
妻木平遺跡:遺跡にみるインフラ整備
インフラとは、生活や産業の基盤となる公共設備のことです。当遺跡では古代に造られた用水路がそれに該当します。古代の食生活は主に稲作に依存していたため、水田のために整備されたと考えられます。今のところ水田遺構は見つかっていませんが、自然科学分析結果や田舟の出土もそのことを裏付けています。用水路はその後、位置をやや変えながらも中世、近世を経て現代まで連綿と使用され続けてきました。
この用水路は東側の山際に沿って造られ、西側に広がる平地に農地と居住地を配置する計画的なまちづくりが行われていました。また、この用水路は水田のためだけでなく生活用水や、祭祀具を流す場所等、様々に利用されていました。
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遺跡にみるインフラ整備
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用水路跡
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小解説 田舟
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田舟1
展示無し、写真のみ -
田舟2
展示無し、写真のみ -
用水路内の遺物出土状況
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須恵器:長頸瓶
奈良時代
8世紀後半 -
小解説 用水路の整備
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用水路からの出土遺物
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灰釉陶器:碗(側面)
平安時代
9世紀前半 -
灰釉陶器:碗(底面)
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山茶碗:碗(漆付き、内面)
鎌倉時代
13世紀前半 -
山茶碗:碗(漆付き、側面)
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小解説 漆パレット
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三筋壺
鎌倉時代
12世紀末~13世紀初頭
常滑窯産
妻木平遺跡:水への祈り
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用水路に埋納された室町時代の墨書土器
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用水路出土の墨書土器
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須恵器:有台坏(万歳)1
奈良時代
8世紀前半
墨書「万歳」 -
須恵器:有台坏(万歳)2
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山茶碗:小皿(〇、底面)
鎌倉時代
12世紀末~13世紀前半
墨書「〇」 -
山茶碗:小皿(〇、側面)
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山茶碗:碗(+、底面)
室町時代
14世紀後半~15世紀前半
墨書「+」 -
山茶碗:碗(+、側面)
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小解説 水への祈り
妻木平遺跡:仏への信仰
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仏への信仰を示す遺物
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須恵器:脚付香炉
奈良時代
8世紀 -
山茶碗:段皿(僧、底面)
平安時代
11世紀末~12世紀初頭
墨書「僧」 -
山茶碗:段皿(僧、側面)
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小解説 水瓶
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小解説 仏への信仰
妻木城士屋敷跡
当遺跡は、北と東を妻木川、西側を浦山谷川に挟まれた低位段丘面および緩傾斜地に立地しており、妻木城跡の麓に築かれた領主の館跡と家臣の屋敷跡で構成されます。妻木郷を治めた明智氏および妻木氏の本拠地であり、領主とその家臣が居住していた屋敷地だと考えられています。
屋敷地一帯は妻木氏宗家の断絶(1658年)後に農地へと転用され現在に至りますが、10次にわたる試掘調査の結果、戦国時代から江戸時代前期にかけての武家屋敷地の遺構が良好に残されていることが明らかとなってきました。一地方領主の山城と居館、そして家臣の屋敷地という一連の遺跡が良好に残る事例は全国的に見ても希少なため、非常に重要な遺跡といえます。
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妻木城士屋敷跡について
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第10次調査開始前
第10次調査(2019年) -
遺跡地図(赤色立体図)1
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遺跡地図(赤色立体図)2
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石垣周辺の遺構検出状況
第10次調査トレンチ1 -
石垣検出状況
第10次調査トレンチ2
調査終了時の状況 -
農地化後の堆積状況
第10次調査トレンチ2 -
遺物出土状況1
第10次調査トレンチ1
旧石垣跡内 -
遺物出土状況2
第10次調査トレンチ2
旧石垣跡内 -
発掘作業の様子
第10次調査トレンチ2 -
明智氏時代の遺物
室町時代
15世紀中頃 -
小解説 明智氏時代の遺物
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遺物実測図
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小解説 遺物実測図
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妻木氏時代の遺物1
戦国~安土桃山時代
16世紀中~後半 -
妻木氏時代の遺物2
江戸時代
17世紀 -
茶碗と水指
江戸時代
17世紀 -
小解説 妻木氏時代の遺物
浅野館跡
浅野館は、承久の乱(1221年)後に土岐光行が築いた居館ですが、館そのものは未発見でした。しかし、令和2年(2020年)の第8次調査において、館に伴う堀跡と考えられる遺構が発見され、堀跡内から遺物は出土しなかったものの、館の位置に関する大きな手掛かりを得ることができました。
同年の第10次調査では、予想だにしなかった発見もありました。奈良時代末から平安時代初め頃の集落跡が発見されたのです。特に大型の掘立柱建物跡3棟(内2棟は高床式倉庫)は、当時の役所建物に相応しい規模を持ち、郷長宅、または郡衙別院(郡役所の支所)等の施設だと考えられます。古代に存在したもう一つの浅野館といってもいいでしょう。
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浅野館跡について
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浅野館跡遺構分布略図
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堀跡検出状況1
第8次調査トレンチ1 -
堀跡検出状況2
第8次調査トレンチ2 -
区画溝検出状況
第9次調査トレンチ3 -
竪穴式住居跡
第9次調査トレンチ4 -
高床式倉庫群(空撮)
第10次調査トレンチ2 -
高床式倉庫跡
第10次調査トレンチ2 -
柱穴と柱抜き取り痕
第10次調査トレンチ2
高床式倉庫の柱穴跡 -
土師器:長胴甕の出土状況
第10次調査トレンチ1
一括廃棄された長胴甕 -
土師器:高坏
奈良~平安時代
8世紀末~9世紀初頭 -
小解説 精製土師器
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土師器:長胴甕
奈良~平安時代
8世紀末~9世紀初頭 -
小解説 土師器:長胴甕
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須恵器
奈良~平安時代
8世紀末~9世紀初頭 -
小解説 土師器と須恵器の違い
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中世の遺物
鎌倉~室町時代
13世紀後半~14世紀後半 -
小解説 中世の遺物
上林遺跡
平成30年(2018年)の第5次調査において、古墳時代前期の竪穴住居跡1棟が発見されました。甕類(く字甕、S字甕)の他、壺、器台、鉢等、状態の良い土師器をはじめ砥石等も出土しました。調査範囲が限られたため、発見された建物は1棟だけでしたが、周辺には集落が広がっていたと考えられます。
さらに、竪穴住居跡の付近からは縄文時代晩期後半の深鉢形土器を重ねて埋めた遺構が見つかりました。これは土器を棺として利用した土器棺墓だと考えられます。これらの調査結果から、当地では少なくとも縄文時代と古墳時代に集落が営まれていたことがわかりました。市内ではこういった古い時期の集落跡の発見例が少ないため、とても貴重な遺跡といえます。
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上林遺跡について
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竪穴住居跡
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土師器の出土状況
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縄文土器の出土状況
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発掘調査の様子(詳細)
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発掘調査の様子
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土師器:く字甕
古墳時代
4世紀前半 -
土師器:壺
古墳時代
4世紀前半 -
土師器:器台
古墳時代
4世紀前半 -
土師器:鉢
古墳時代
4世紀前半 -
土師器:S字甕
古墳時代
4世紀前半 -
小解説 土師器
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縄文土器:深鉢(土器棺)
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縄文土器:深鉢(A)
縄文時代晩期後半
BC1000年頃 -
縄文土器:深鉢(B)
縄文時代晩期後半
BC1000年頃 -
縄文土器:深鉢(C)
縄文時代晩期後半
BC1000年頃 -
縄文土器:出土状況図
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小解説 縄文土器
乙塚古墳附段尻巻古墳
飛鳥時代に東濃地方を治めた領主の墓である乙塚古墳は、隣接する段尻巻古墳とともに、国の史跡に指定されています。この重要な遺跡を守り伝えていくため、令和元年から保存整備事業が進められ、並行して発掘調査も行われています。
乙塚古墳(方墳)では、希少な須恵器である鳥紐蓋の出土や、玄室内から既に失われたと考えられていた礫床が発見される等の成果がありました。段尻巻古墳(円墳)では、石室入口の割れた天井石の修復を行うとともに、前庭部の調査も行われました。出土遺物はわずかでしたが、礫床が非常に良好な状態で出土しました。両古墳の整備工事は令和4年度中に完了し公開される予定です。 ※工事完了まで両古墳とも非公開です。
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乙塚古墳附段尻巻古墳について
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平面図、円墳と方墳
乙塚古墳
乙塚古墳は、飛鳥時代(7世紀前半)の大型方墳です。この時期の大型方墳は、領主など特別な地位の人にだけ許された墓のため、乙塚古墳の存在は東濃地方が一つの行政区域(後の土岐郡)として成立した証ともいえます。乙塚古墳の主が統治した地域は、現在の多治見市から中津川市に至る広大な地域だったと考えられます。
墳丘は、全長約27m、段のない単純な構造です。墳丘表面に葺石は葺かれておらず、墳丘の周囲に掘りめぐらされる周溝もありません。玄室・羨道・前庭部で構成される横穴式石室(両袖式)は全長19.2mあり、美濃地方最大級の規模を誇ります。
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乙塚古墳について
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石室展開図
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調査前(2019年)の状況
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整備工事後(2020年)の状況1
石室入口周辺 -
整備工事後(2020年)の状況2
石室内の礫床を復元 -
整備工事後(2020年)の状況3
墳丘の整形を実施 -
前庭部の発掘
第8次調査(2019年)終了時 -
羨道の発掘
第8次調査終了時 -
玄室の発掘
第8次調査終了時 -
玄室の礫床
第8次調査終了時 -
墳丘の発掘
第6次調査(2015~2016年)終了時 -
鳥鈕蓋の出土状況
第6次調査 -
鳥鈕蓋と蓋部の断片
飛鳥時代
7世紀前半 -
鳥鈕蓋1
飛鳥時代
7世紀前半 -
鳥鈕蓋2
飛鳥時代
7世紀前半 -
小解説 鳥鈕蓋
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図解 鳥鈕蓋
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出土遺物:須恵器と土師器
飛鳥時代
7世紀前半 -
小解説 焼成不良の須恵器
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出土遺物:鉄製品
飛鳥時代
7世紀前半 -
小解説 銙板
段尻巻古墳
段尻巻古墳は、乙塚古墳とほぼ同時期(飛鳥時代、7世紀前半)の円墳ですが、少し先行して築かれたと考えられます。近郊にある他の円墳(墳丘全長10m程度が多い)よりも大きく(墳丘全長約24m)、乙塚古墳に隣接して築かれていることからも、乙塚古墳の被葬者と組織的、または血縁的にとても近い有力者の墓だと考えられます。
墳丘は、乙塚古墳同様に段のない単純な構造です。やはり墳丘表面に葺石は葺かれておらず、墳丘の周囲に掘りめぐらされる周溝もありません。玄室・羨道・前庭部で構成される横穴式石室(疑似両袖式)は全長9.5m、乙塚古墳の半分の大きさです。
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段尻巻古墳について
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石室展開図
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前庭部の調査前状況
第9次調査(2021年) -
前庭部の調査終了状況
第9次調査 -
前庭部の発掘作業
第9次調査 -
礫床の検出作業
第9次調査 -
礫床(羨道~前庭部)
第9次調査 -
割れた羨道の天井石
第9次調査に先立ち実施 -
修復した天井石の再設置
第9次調査に先立ち実施 -
土師器:長頸瓶(側面)
飛鳥時代
7世紀前半 -
土師器:長頸瓶(内面)
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小解説 土師器:長頸瓶
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出土遺物:須恵器
飛鳥時代
7世紀前半
曽木上田遺跡
平成29年(2017年)に初めて調査が行われました。建物跡等の遺構は発見されませんでしたが、小川の跡から東濃地区で初めて「暗文土器」(奈良時代初め頃のもの)が出土したことが注目されます。
暗文土器は、当時の最高級食器である金属器を模して作られたもので、主に都の役所や寺院で使用されていました。そのため、地方ではとても貴重な品でした。当遺跡は、2つの街道(後の中馬街道と中馬中街道)を南北に結ぶ交通の要所に位置しています。かつてこの付近に役所、または寺院があり、その関係者がこの暗文土器を持ち込んだと考えられます。たった一つの小さな遺物が物語る古代の曽木、今後の追加調査が期待されます。
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曽木上田遺跡について
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曽木上田遺跡と街道
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暗文土器出土状況
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暗文土器(内面)
奈良時代初頭
8世紀初頭 -
暗文土器(底面)
奈良時代初頭
8世紀初頭 -
小解説 暗文土器
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出土遺物:土師器と須恵器
奈良時代初頭
8世紀初頭
元屋敷陶器窯跡
国史跡元屋敷陶器窯跡は、安土桃山時代から江戸時代初頭に美濃桃山陶を生産した窯跡で、4つの窯跡からなります。令和元年(2019年)10月から令和3年(2021年)5月までの間に起きた台風や集中豪雨によって複数回にわたり土砂崩れが発生した東1号窯南側崖地の災害復旧事業に伴う調査を行いました。
地盤が非常に危険な状態だったため、十分な考古学的調査は行えませんでしたが、崖地の堆積状況を明らかにするとともに、廃棄された窯道具を中心とする多くの遺物を得ることができました。特に東1号窯が営まれた最初期のものと考えられる物原を確認できたことは大きな成果でした。崩積土内からの遺物採集作業は未完了のため、令和4年度も調査を継続予定です。
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元屋敷陶器窯跡について
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元屋敷陶器窯跡(空撮)
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大窯について
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崩落状況
東1号窯付近 -
崩積土除去作業
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発掘調査終了状況
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崖部の堆積状況
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物原の詳細
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遺物採集作業
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出土遺物:製品1
安土桃山時代
16世紀後半~末 -
出土遺物:製品2
安土桃山時代~江戸時代初頭
16世紀末~17世紀初頭 -
志野向付(溶着)
安土桃山時代~江戸時代初頭
16世紀末~17世紀初頭 -
出土遺物:製品3
江戸時代前期
17世紀 -
出土遺物:窯道具1
安土桃山時代~江戸時代初頭
16世紀末~17世紀初頭 -
出土遺物:窯道具2
安土桃山時代~江戸時代初頭
16世紀末~17世紀初頭 -
小解説 窯道具の使い方例
中山1号窯
本窯は、室町時代(15世紀前半)の山茶碗窯です。平成28年(2016年)に行った発掘調査では、窯体と灰原の他に作業場と居住区の遺構も合わせて発見され、これまで不明瞭だった山茶碗生産が終盤に差し掛かった頃の様子を明らかにしてくれる新しい情報をいくつも得ることができました。
窯体構造は、いわゆる窖窯ですが、これまでにほとんど類例の無いいくつかの特徴を持っていました。焚口に設けた石積み側壁の片側だけ取り外し式にして作業スペースを設けてあること、燃焼室から焼成室への段差(昇炎壁)が非常に高いこと、焼成室の天井を架構・補修するための柱基礎を設けていること等、大窯が発明される直前期の陶工たちによる試行錯誤の歴史を物語る貴重な窯跡といえます。
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中山1号窯跡について
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遺跡全景空撮と平面図
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窯体正面の様子・窯体断面図
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窯体
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分炎柱と昇炎壁
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天井架構・補修用柱基礎
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灰原と窯体掘削廃土
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前庭部遺物検出作業
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前庭部遺物出土状況
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山茶碗窯(窖窯)模式図
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出土遺物:製品
室町時代
15世紀前半 -
出土遺物:窯道具
室町時代
15世紀前半 -
窯詰め方法:碗
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窯詰め方法:小皿
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小解説 窯詰めについて
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成形技法について
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小解説 成形技法:碗/蓋
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小解説 成形技法:小皿
林景正氏窯跡
林景正氏(岐阜県重要無形文化財:黄瀬戸)は、黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部等の美濃桃山陶だけでなく、あらゆる美濃古陶の再現に情熱を捧げた昭和の美濃焼を代表する名陶工です。
林氏が築いた「乙塚窯」跡は、段尻巻古墳の発掘調査中に墳丘南西端付近で発見され、平成29年(2017年)に調査が行われました。石炭を燃料とした窯で上部構造は既に失われていましたが、吸炎孔下の土坑と、その周囲を取り巻くように配された煙道等、下部構造の一部が残っていました。その他、焚口下に設けられたロストルの一部も確認できました。遺物としては「乙塚窯」と刻まれた完形の匣鉢(エンゴロ)の他、黄瀬戸、瀬戸黒等、林氏の作陶の様子をうかがい知ることのできる製品片が出土しました。
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林景正氏窯跡について
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出土遺構写真・平面図
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角窯(石炭窯)について
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林景正氏略歴
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黄瀬戸胴紐茶碗
林景正作
昭和時代
土岐市美濃陶磁歴史館蔵 -
出土遺物:製品
昭和時代 -
出土遺物:窯道具
昭和時代 -
匣鉢:乙塚窯銘
昭和時代
【凡例】
このページは、土岐市美濃陶磁歴史館企画展「発掘調査報告展~土岐を掘る~」のバーチャル展覧会です。
会期:2022年2月18日(金)~5月15日(日)
・解説文の執筆は当館学芸員が行いました。
・展示品は全て土岐市美濃陶磁歴史館に保管されています。
・現時点(令和4年3月)で整理作業中の遺跡もあるため、展示した全ての遺跡について発掘調査報告書が刊行されているわけではありません。
・一部の刊行済み発掘調査報告書については、「資料ダウンロード」よりダウンロードしてご利用いただけます。