美濃窯では、旧村や旧郷の単位で陶祖とされる人物がおり、近代には各地に陶祖碑が建立され、現在でも毎年、陶祖を祀る陶祖祭が行われています。各地の陶祖は、安土桃山時代から江戸時代初頭にその土地に移り住み窯を開いた人物であり、中でも、信長の朱印状を持参して瀬戸(現愛知県瀬戸市)から久尻(現岐阜県土岐市)へと移り住んだとされる加藤景光とその長男で元屋敷窯(国史跡)を開いた加藤景延が美濃窯全体の陶祖とされています。元屋敷窯は織部を焼いた窯として知られますが、その一方で、景延は正親町上皇へ「白薬手之茶碗」を献上し筑後守の官位を授かったとも伝えられます。
美濃各地の陶祖は、その出自をたどると瀬戸から信長の朱印状を持って久尻と大平(現岐阜県可児市)に移り住んだ陶工へとつながり、その陶工たちの手により、黄瀬戸や志野といった美濃桃山陶の生産が始められました。信長の朱印状は、そこから200年を経た後にも、窯焼きの正統性を主張する手段として使われていくことから、製陶関係者にとって大きな意味を持っていたことがうかがえます。
本展では、瀬戸から美濃へと移動し、さらに美濃各地へと散っていった陶祖の軌跡を窯跡の出土品や古文書から探り、さらに、江戸時代後期、幕末、明治時代初期とそれぞれ朱印状や由緒書、陶祖の系図等に意味を見いだしていった時代背景に迫ります。